10月19日(月)は上田市に日帰りで見物に行ってきました。
9時半に車で山荘を出て、ビーナスライン~白樺湖~大門街道を通って、1時間半で上田市街に着きました。
途中、蓼科から白樺湖までのビーナスラインの周辺の山は赤や黄色に見事に彩られ、紅葉のトンネルの中を運転しているような感じの所もありました。
下の写真はビーナスライン沿い標高1,700mの所にある「蓼科女の神展望台」から見た蓼科高原別荘地です。その向こうには甲斐駒ケ岳などの南アルプスと、その右に入笠山がかすかに眺められます。
11時ごろ上田市街(下記①ご参照)に着いて、最初に上田城に行きました。上田城は1583年に真田昌幸が築城したものです。1900年の関ヶ原の戦いに際しては、西上を続ける徳川秀忠軍(3万8千人)の攻撃を昌幸・幸村親子が籠城して退けたことは有名です。
上田城は堀、石垣などがよく残されていて、戦国の雰囲気が窺えました。
本丸、内堀はあまり荒らされずに残っている感じで、味わいがあり、一度は訪れる価値はあると思いました。
お昼に、信濃国分寺近くにあるそば屋「茜屋」に行きました。 茜屋は前もってアスクユー・レストランガイド(下記②)で調べたところ、上田市のそば店では2番目の評価を得ていた店です。
私は「国八そば」を、家内は「天ざるそば」を食べました。国八そばはタラの芽と朝鮮人参の天麩羅が付いています。ここのソバはやや太めで腰がしっかりしていて、いかにも地元の手作りという感じでした。私は並盛をたのみましたが、それでも東京近辺のそば屋の大盛りよりもずっと量が多かったです。つゆはやや甘めですが、まずまず美味しくいただきました。
昼食後、信濃国分寺に行きました。信濃国分寺は奈良時代に上田の地に建立されたものが、平安末期に今の地に移されたものだそうです。この寺の中で最も古い三重塔(下の写真)は重要文化財で、室町中期の建立と推定されています。
国分寺本堂(薬師堂)は江戸末期の1860年に竣工で、近世の堂としては東信地方最大の建造物だそうです(下の写真)。
そのあと、上田市街を通り抜ける旧北国街道の柳町通りに行きました。北国街道(ほっこくかいどう)は江戸幕府によって整備された脇街道で、正式には北国脇往還と言うそうです。
今でも柳の木がある柳町(やなぎまち)には古い家並みが多く残っています。もともと旅籠屋、呉服屋などの商家が多かったそうです。江戸末から明治にかけての町屋には2階に特徴ある「親付き切り子格子 」が付いています(下の写真)。
そこから車を北東に約20分走らせて真田町に行きました。そこにある御屋敷公園は、真田氏が1583年に上田城を築城する以前に居住していた館跡(下の写真)を公園として整備したものです。 館の構築の時期は1558年~1570年頃と考えられているそうです。
御屋敷公園の中には皇太神宮が建てられており(下の写真)、これは真田昌幸が上田城に移転するにあたりこの地を神聖な場所として保存されるように図ったためだそうです。
そのあと、真田氏歴史館を見て、真田の郷巡りを終えました。
大門街道を通って山を越えて、ランディが待つ我が家に帰ったのは夕方5時半でした。
上田市はメジャーな観光名所はありませんが、見所が多く、おもしろい旅でした。
<参照リンク>
①信州上田観光情報→http://www.city.ueda.nagano.jp/hp/kanko/index.html
②アスクユー・レストランガイド:「茜屋」→http://www.asku.com/rv/r2500928/review.htmll
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