信州・諏訪大社の御柱祭はいよいよ最後の段階でした。
下社の8本の御柱は4月9日(金)~11日(日)の3日間に山出し、木落しを経て、 曳航され、注連掛(しめかけ)に安置されていましたが、これらは5月8日(土)~10日(月)の3日間に「里曳き」が行われ、下社・春宮と秋宮に4本ずつが運ばれて、境内に建てられる「建御柱」(たておんばしら)によって、フィナーレとなりました。しかし、ここで悲劇が起きました。
5月8日(土)に家内と二人で下社春宮の建御柱を見に行きました。岡谷市柴宮のスーパー「オギノ」に車で行き、お弁当や飲み物を買って、そこに車を置いて、約2kmを歩いて、春宮に向かいました。
下社春宮に11時頃着くと、ちょうど一本目の春宮一の御柱のミニ木落しが行われる時でした。春宮の境内の横には坂があり、上の道路からこの坂を伝って御柱を落し、境内に運び込みます。もう見物客で一杯でしたので、我々は境内の外側からこのミニ木落しを見ました。
木落しが終わると、出る人など見物客の動きがあったので、その間に我々は境内の中に入り、人の間を縫って、前に進みました。 一般見物客の入られる一番前方である、神楽殿の前に場所を取ることができました。
その後、春宮一の御柱は拝殿右前の、御柱を建てる場所まで運ばれました(上の写真)。
神主によるお祓いの後、御柱の先端を三角錐状に削り取る「冠落し」(かんむりおとし)が始まりました(下の動画)。
氏子が交替で斧で削って行きますが、これには随分時間がかかり、切り落としが完了したのは午後4時近かったです。
そして、御柱がワイヤーで少し持ち上げられると、柱に乗る10数人の氏子たちが自分で柱にロープを巻き、自分の足場となる板を柱に縛り付けました(下の写真。)
4時を過ぎて、漸く御柱は引き上げられ始めました。木遣やラッパの音頭と共に少しずつゆっくり時間をかけて上がって行きます。
(以下の写真と動画は、同様のものが既にテレビや新聞で繰り返し流されていますので、掲載することにしました。)
御柱に乗っている10数人の氏子たちは全員、命綱(安全ベルト)を付けていませんでした。
この御柱は長さ17m、直径1m。御柱が高く上がっても、氏子たちは安全ベルトは付けず、どこにもつかまらず、柱の上に乗って、黄色い「御幣」(おんべ)を振っていましたので、 見ている方がハラハラしました。
自分のデジカメの記録を見ると午後5時3分でした。もうすぐ直立に建ち上がると思われた頃、突然一番上の氏子が落ちました。二番目、三番目の氏子が続いて落ちました。私は耳が良くないので気がつきませんでしたが、家内は直前にプツンとワイヤか何かが切れる音がしたと言っていました。
報道によると、一番上と三番目の氏子が亡くなりました。二番目の人は落ちる途中ロープにつかまったため、軽症ですんだとのことです。原因は矢張り、一本のワイヤが突然切れて、御柱が揺れて、振り落とされたのでした。
これ以上のことは痛ましくて、書く気になれません。
見ている者にとってもショックでした。3人が落ちて行く様子と、その直後、私の2m位前にいた、息子さんと思われる小学生の男の子が大きな声で泣き続けていた光景は今も私の脳裏を離れません。
亡くなったお二人の冥福をお祈りいたします。
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