昨日、21日にビーナスライン沿い、プール平にある蓼科郵便局に用事があって行ったついでに、向かいにある手打ち蕎麦「黙坊」に寄って、家内と昼食を食べました。
この日は、冬季限定の品、「とうじ(投汁)そば」(1,300円)を初めて食べてみました。とうじそばは蕎麦をしゃぶしゃぶの様にして食べます。
まず、カモ肉を使った煮立った鍋が出てきます(上の写真)。
次に、普通の盛りそばが篭などと共に出てきます。
蕎麦をとうじ篭に入れて、鍋につけて、しゃぶしゃぶのように蕎麦を軽く、くぐらせます。
温めたお蕎麦をお碗に移し、鍋の汁と具を入れて、食べます。
例えば、温かい鴨南蛮そばですと、麺がのびてしまいがちです。また、鴨汁そばですと、食べている内に汁が冷めてしまいます。
とうじそばでは、カセットコンロで鍋を熱しているため汁は熱いままで、蕎麦は熱い汁にくぐらせて直ぐに食べるので、のびることがありません。なるほど、これだと、もともと美味しい黙坊の麺が、熱い汁と具と共に楽しめます。寒い時期にぴったりの食べ方です。
この日はオフシーズンの火曜日だったため、我々以外には女性客が二人いただけでした。このため、黙坊のご主人といろいろ話ができました。
以前の記事でも書きましたが、この店の名前「黙坊」は店のご主人の祖父である歌人、柳沢黙坊から採っています。
この店を200m程下ったビーナスラインの右側(蓼科湖から1kmほど上)に柳沢黙坊歌碑が建っています。この黙坊歌碑の標識棒(上の写真)の横側には次のように記されています。
「明治9年茅野市北山湯川村に生れる。伊藤左千夫に師事し、アララギ同人として平福百穂、島木赤彦、篠原志都児と交友が深く歌を詠んだ。歌集『耕耘余感』がある。昭和28年没 享年七八歳」
今の蕎麦店の「黙坊」は元は何十年も前から続く食堂だったそうです。昔、ビーナスラインは舗装はされておらず、砂利道で、バスは、「黙坊」のあるプール平が終点でした。ですから、当時の別荘はこの終点、プール平から歩いて行ける範囲に建っていたそうです。ビーナスラインが着工されたのが1961年ですから、もう50年位前の話です。
席数10の小さな「黙坊」の店内の壁には画や書がいくつも掛っています。
その内の一つに詩人、草野心平(1903年~1988年)の書があります。ご主人の話ですと、草野心平の親戚の別荘がこの近くにあって、心平は時々その別荘に来て、滞在していたそうです。草野心平はこの食堂によく来ては、食べて、飲んでいたのだそうです。
また、東郷青児(1897年~1978年)の画も掛っていました。東郷青児は蓼科に時々来て、蓼科湖畔のアートランドホテル蓼科を定宿にしていたそうです。この店に掛かっている画は東郷青児がこの店のために特別に書いてくれた画とのことでした。
Poranさん、
いつもPoranさんのお蕎麦やさん情報は真剣に読んでいます(笑)
こういう食べ方もあるのですね。いかにも体が温まりそうです。
蓼科は詩人、画家、映画監督など、色々な方とご縁のある場所なのですね。これからも色々教えて下さい。
それにしても、雪が全くありませんね。。。(^^;)
投稿情報: Angela | 2010/12/23 15:16
Angelaさん、
高速道路もなく、交通が不便だった時代には、夏に蓼科に避暑に来るのは文人、芸術家、学者など、たっぷり休みがとれる職業の人達が中心だったようですね。
昔のことが分かると、なかなか面白いエピソードもありそうです。
今、標高1,200m~1,300m辺りは殆ど雪が解けています。その上の方、標高1,600~1,700m位になると裏道にはかなり雪がありますね。
Poran
投稿情報: Poran | 2010/12/23 19:56