今日は一日中、山はずっと雨でした。
私は今週毎日していた畑仕事は今日はできません。その分ギターの練習に時間を振り向けることができました。久し振りに、自分の演奏をチェックするためにデジタル・レコーダーに録音しました。 録音して聴くと、自分の演奏の欠点やあらが良く分かります。前よりは少しはましになっているようですが、なかなか上達しません。
ランディもこの雨では散歩にも行けません。一日中山荘の中ですので、時々サークルから出して、部屋の中で遊ばせてあげました。
しかし、ボーダーコリーは運動量が必要なので、部屋の中では体力を持て余し、欲求不満気味のようでした。
昨晩、1週間振りに蓼科に戻ってきて、今朝、さっそく畑に行きました。
今日から蓼科での畑仕事の開始です。畑は標高1,100mの所にあるため、4月は遅霜の恐れがあります。そのため、例年ゴールデン・ウィークの頃が畑仕事の開始になります。
私の借りている畑は去年と同じ120㎡(36坪)の広さです(上の写真の手前の区画)。
今日は近くの「JAファーム」に行って、松本一本ねぎの苗を買ってきて、畝1列に植え付けました。
明日からはジャガイモの作業をする予定です。
因みに、去年私が作った野菜は次の19種類でした。
>> トウモロコシ、キュウリ、ナス、枝豆、ズッキーニ、ジャガイモ、ネギ、オクラ、サラダ春菊、ブロッコリー、ピーマン、小松菜、サラダほうれん草、大根、白菜、サニーレタス、キャベツ、人参、小蕪 >>
少量多品種生産ですが、それでも採れ始めると夫婦二人では食べきれないくらいでした。
今年はトマト、カボチャなども追加し、更に品種を増やそうと思います。
クラシックギターほど弾く人や弾き方によって音色が変わる楽器は少ないと私は思います。
私なりに考えると、クラシックギターの音色は次の要素によって決まると思われます。
(1)ギターそのもの(つまり、ハード)。
(2)張っている弦。
(3)弾く人の指の爪(その質、形、強度)。
(4)弾き方、つまり、左手の弦の押さえ方(バイブレーション、スラーなどの弾き方を含め)及び右手の指のタッチ(アルアイレ、アポヤンドなどの弾き方を含め)
これらの中で、一番簡単に変えられるものが(2)張っている弦です。他の要素は、その程度はありますが、変えるのは簡単ではありません。
月刊誌「現代ギター 09年4月号」には『特集 ナイロン弦大研究』が掲載されています(最初の2頁を下に添付)。なかなか興味深く、おもしろい内容です。
この特集記事によると、初めてギター用のナイロン弦が作られたのは50数年前、1950年代前半と言われています。それ以前はギターにもヴァイオリンと同様にガット弦が使用されていました。ガット弦は羊腸で作られていましたが、傷みが早く、寿命が短く、また高価で、ギタリストは苦労していたそうです。不世出の天才ギタリストで、誰も真似のできない美しい音色で演奏したアンドレス・セゴビア(1893~1987)も最初はガット弦を使っていました。
ギター製作家だったアルバート・オーガスチンがセゴビアの助言のもとでナイロン・ギター弦を研究し、完成したのが1954年(昭和29年)でした。
私が学生の頃、約40年前に日本で売られていたナイロン弦はオーガスチン、ラベラ、サバレス程度でした。当時サバレスは大きく響きましたが、耐久性が良くありませんでした。そこで、私はその頃は1、2、3弦にはオーガスチン、4、5、6弦にはラベラを使っていました。
私が約25年間のブランクの後、数年前にクラシックギターの練習を再開してみると、世の中には沢山の種類のナイロン弦が出回っていました。練習再開後、現在出回っているいろいろな弦を張って、試してみました。その結果、私は現在は1~3弦にはオーガスチンのリーガル(紫)を、4~6弦にはオーガスチンの青ラベルを使っています。数十種類のナイロン弦が売られているようですので、私も全ての弦を試すことはできません。主なものではプロアルテはまだ試していません。また、最近はカーボン弦なるものも売られているそうです。しかし、Enriqueさんのブログ「クラシカル・ギターを止められない」の09年4月15日の記事「カーボン弦の正体など」によると、これはゴルフ・クラブなどに使われるカーボンとは違うもので、誤解を招くネーミングだとのことです。
また、『特集 ナイロン弦大研究』には、使用弦などについて村治佳織、福田進一、大萩康司などの人気ギタリストを含む14名のプロギタリストにアンケートを取った結果が掲載されています。それを見ると、使用している弦は殆ど全員がバラバラであることが面白いです。これはその人の使っているギターとの相性、弾き方や指のタッチ、音の好みなどによっていろいろ変わってくるものだと思います。因みに、村治奏一さんは私と同じオーガスチンの紫と青の組み合わせを使っていました。
P.3以下は雑誌「現代ギター 09年4月号」そのものをお読みください。
今日、23日(木)はランディと聖光寺(しょうこうじ)に花見の散歩に行きました。
聖光寺はビーナスライン沿いの蓼科湖の真向かいにあります。標高1,230mの所にあり、この寺の300本のソメイヨシノは本州で一番最後に咲く桜と言われています。
例年はここの桜の見頃はゴールデン・ウィークの頃ですが、今年は1週間ほど早く、今日は既に7分咲き位でした。
ランディはいろいろな所の花見をすることができました。(しかし、本人は花より団子です。)
そのあと、蓼科湖を散歩して一周しました。蓼科湖畔にもきれいな桜が咲いていました。
今日お昼は約2年振りに、ビーナスライン沿いの、蓼科湖をちょっと下った所にある「手打そば みつ蔵」に家内と蕎麦を食べに行きました。
「みつ蔵 」(みつくら)はこの辺では人気の蕎麦店で、休日のお昼は店の外まで客が並んで待っています。しかし、今日は平日で、午後から雨模様と天気が悪かったため観光客が殆どおらず、すいていました。
まず、最初にここのもう一つの人気メニュー、「たまご焼き」のハーフ・サイズ(500円)を注文しました。ハーフ・サイズとは言え、6切れあり二人には十分です。味がしっかり滲み込んでいて美味しかったです。
ここの定番の「せいろそば」は腰がしっかりしていて、この店に食べに来て良かったと思います。
限定「生粉打ちせいろそば」を1人前たのみました。普通のせいろそばよりも麺はやや太めでしたが、素朴な感じの味わいが良かったです。
私は蕎麦だけではちょっと足りないので、「変わり御飯」という炊き込みご飯をたのみました。これもまずまずの味でした。
このところ高原も暖かい日が続きます。
ランディは昼間は山荘のベランダか庭でほとんどを過ごしています。夜になると家の中に入れて、サークルの中で寝ます。
上はサッカー遊びで走り回った後、休憩しているところです。
ランディはあと4日で生後7ヶ月になります。
私は学生時代から40数年にわたって日本経済新聞を愛読しています。
しかし、2年前に退職してからは、不定期に東京の家にいたり、蓼科にいたりするため、その後、新聞の定期購読・配達をやめてしまいました。毎朝自分で新聞を買いに行きますが、東京では近くにコンビニがいくつもあるため不便はありません。山荘にいる時には別荘地内の売店まで買いに行きますが、売店までは5.2kmあります。計算してみると、往復の車のガソリン代だけでもばかになりません。
そこで、定期購読・配達を依頼しようと、先日、日経新聞購読センターに電話しました。標高1,600mの山の中にある山荘にまで果たして配達してくれるのかなあ、と思いましたが、「どこでも配達します」との返答でした。
電話した翌々日から、山荘の郵便受けには朝配達された日経新聞がしっかり入っていました。ずっと配達するということは、真冬に厚い雪が山の道路を覆い、凍りつくようになっても配達してくれるということですから、 なんか感謝したいくらいです。
今、私の山荘にはケーブル・テレビが引いてありますから、デジタルも含め一通りのチャネルを見ることができます。またケーブル・テレビ回線を使ったブロードバンドのインターネットを使用しています。
インターネットのおかげで、山にいても買い物にあまり不便は感じません。この山荘で今使っている42インチプラズマテレビ、プリンター、スキャナー、それに製パン器などの家電製品も価格.comやムラウチドットコムで安いものを探して、ネット通販で購入したものです。家内の化粧品までネット通販です。大きな商品からクール便まで都内にいるのと殆ど変わらない料金とスピードでこの山の中まで配送してくれます。
先日は、欲しい本をAmazon.co.jpで探したところ、定価1,300円の本が中古で100円で売りに出ていました。送料は340円掛かりましたが、それでも安いので購入申し込みしました。2、3日の内に送られてきた本は殆ど新品同様でした。これだと、わざわざ本屋まで行って本を定価で買う必要はあまりありません。
情報面では蓼科にいても今は全く不便はありません。
山の中のような地理的に不便な所ほど、インターネットの進歩・普及の恩恵、効用は大きいと感じています。
昨日、13日(月)は天気も良さそうだったので、伊那市の高遠城址公園の桜を見に行くことにしました。
朝、8時半に山荘を車で出発し、国道152号を通り、杖突峠を越え、1時間10分で高遠中学校グラウンドの臨時駐車場に着きました。 臨時駐車場からは片道100円でシャトルバスに乗り、数分で高遠城址公園に着きました。
高遠の桜はタカトオコヒガンザクラで、ソメイヨシノより少し小ぶりで、赤みのある花を咲かせています。園内には約1,500本以上の桜があり、「県の天然記念物」になっています。
高遠城は元々はこの地方の名族・諏訪氏の一族である高遠氏の居城でした。天正10年(1582年)、小田信長の長男信忠の5万の大群の攻撃を受けて、武田勝頼の弟で当時の城主、仁科盛信とその3千人の城兵は凄惨な戦いの末に全員が玉砕して、落城しました。
この日のコヒガンザクラは満開で、そろそろ散り始めようとしているところでした。
高遠城址公園の桜は4年前にも一度見に来ました。その時の記録を調べると、4月16日(土)に来ていましたが、まだ7分咲きでした。今年は暖かいので、その時よりも10日くらい早まっています。
4年前の時には確かにたくさんの花が咲いていてましたが、それ程は感激しませんでした。しかし、今回の方が本当に綺麗な感じです。やや濃い目のピンクの桜がびっしりと詰まり、色合いも、スケールも見事でした。
高遠城址の桜は散り始めが一番良いと聞いていましたが、まさにその通りでした。
この日は平日でしたが、やはり人は多かったです。
しかし、帰りのシャトルバスの運転手と話したところ、この日はまだマシで、前日13日は日曜日だったので、混み具合は尋常ではなかったそうです。 中央高速伊那インターを降りた車がわずか12kmを走って、高遠城址公園に着くのに4時間かかったそうです。高速道路休日割引1千円も相当影響しているようです。
ここは見頃のピークの時に見ておく価値のある名所だと思います。
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