蓼科は8月下旬は雨がちの日が続き、もう秋の気配です。今日、8月29日(金)も小雨が降ったり止んだりでしたが、奥蓼科の湯みち街道沿いにある御射鹿池(みさかいけorみしゃかいけ)に行ってみました。初秋の気配がただよう御射鹿池でした。
そのあと、車でメルヘン街道(国道299号)を上り、麦草峠(標高2,127m)に行きました。一時的に雨があがりました。
麦草峠には妖しい青さをもつヤマトリカブトがたくさん綺麗に咲いていました。
蓼科は8月下旬は雨がちの日が続き、もう秋の気配です。今日、8月29日(金)も小雨が降ったり止んだりでしたが、奥蓼科の湯みち街道沿いにある御射鹿池(みさかいけorみしゃかいけ)に行ってみました。初秋の気配がただよう御射鹿池でした。
そのあと、車でメルヘン街道(国道299号)を上り、麦草峠(標高2,127m)に行きました。一時的に雨があがりました。
麦草峠には妖しい青さをもつヤマトリカブトがたくさん綺麗に咲いていました。
7月13日(日)にカルカッソンヌ駅から7:42発の特急TGVに乗り、10:40にマルセイユ駅に到着しました。マルセイユ駅の周辺は治安が良くないと聞いていたので、予約してあったホテルまでたいした距離ではなかったのですが、駅前からタクシーに乗りました。タクシーは自動車専用道路と思われるところをかなりの距離走った後、地上に出て、ホテルに着きました。どうもこの運転手はわざと遠回りしたような感じがします。ここのタクシーはあまり質が良くないのかもしれません。
宿泊したホテル・アリゼHotel Alizeは旧港Vieux Portの真ん前にあり、建物は18世紀に建築されたもので、上の写真の真ん中(緑色)の部分です。 我々の泊まった部屋は最上階の一番左でした。部屋のバルコニーからはマルセイユ旧港が一望できました(下の写真)。
旧港に面したカフェで昼食を食べた後、マルセイユ市内の観光見物をしました。
まず、ノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂に行くことにしましたが、ここは丘の上にあって、かなりの距離があるため、観光用のトレイン・バスTrains Toursに乗りました。トレイン・バスは乗車賃€5で市内の観光地を巡廻しています。このタイプ(下の写真)のトレイン・バスはフランスのちょっとした観光地には必ず走っていました。
ノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂はモザイク装飾のきれいな、ローマ・ビザンチン様式の教会です。そのテラスからは、マルセイユの町と地中海がパノラマのように眺められました。(下の写真)
ノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂とマルセイユ
そのあと、旧港のすぐ南側にあるサン・ヴィクトール寺院Abbaye St.-Victorを見学しました。この寺院の地下には大きな古い地下聖堂Cryptsがあり、そこにはマグダラのマリアが眠っているとされています。しかし、後で自分で調べると、他にもマグダラのマリアの遺骸があると主張する教会はあり、どこが本当か確証はないようです。いずれにしても、この教会の地下聖堂は大きく、古いもので、一見の価値がありました。
その日の夕食のために、泊っていたホテルのレセプションの女性に「ブイヤベースの美味しい手頃なレストランはないか?」聞いたところ、レストランLe Pavillon(下の写真)を紹介してくれました。Le Pavillonは旧港南側のレストランが集まった広場、Place Thiarsにありました。
マルセイユのレストランLe Pavillon 2008.7.13
このレストランでは、飲み物はCassisの白ワインをたのみましたが、おいしかったです。
レストランLe Pavillonで飲んだCassisの白ワイン
料理は、魚介類のスープを一人ずつと、メインにブイヤベース一皿を二人でshareしたいと言って注文しました。フランスの料理はコースで食べると、我々夫婦にはちょっと量が多すぎるのです。
魚介類のスープには、おろしニンニクとグリュイエールチーズ(上の写真の左側に写っているもの)を載せたパンを浸して食べます。スープはよく煮込まれていて、コクがあって、とても美味しかったです。
ブイヤベースはマルセイユの名物料理で、カサゴ、スズキ、カニ、ムール貝などの魚介類をサフランや白ワイン、トマトなどで煮たものです。
ウェイターがカサゴ、ムール貝などの調理した魚介類一人前を皿に盛って持ってきました(上の写真)。それを我々に見せた後、頼んであったように、目の前できちんと半分ずつに分けて二つの皿に盛り、そこに魚介スープを注いで、ブイヤベースが出来上がりました。(下の写真。 具は半人分なので、にぎやかな感じではありません。)
このレストランLe Pavillonは、見るとあまり客が多く入っていません。しかし、周りのレストランはほとんど満員なのです。ホテルが推薦してくれたレストランだから良いはずなのに、どうしてだろうと思い、帰りに周りのレストランのメニュー看板を見てみました。フランスのレストランやビストロは普通、メニューと値段を書いた大きな看板を道路側に立ててあります。我々の食べたレストランLe Pavillonに比べ、客の多いレストランは値段がかなり安いのです。こちらに客が多い理由が分かりました。
7月14日(月)はマルセイユから長距離定期バスに乗り、エクス・アン・プロヴァンスの観光に行きました。バスの乗り方は、前日にOffice de Tourisme(観光案内所)で聞いてありました。バス乗り場はマルセイユ・サン・シャルル駅に近いPlace Jules Guesdeにあり、そこまではMetro地下鉄で行きました。エクス・アン・プロヴァンスはこのバスの終点で、約30分で着きました。 バスを降りて、道を探しながら歩いて、旧市街を抜けて、その北にあるセザンヌのアトリエに30分位かかって着きました。ここは家内が見たいと言っていた所で、郊外の緑に囲まれた静かな建物でした。
エクス・アン・プロヴァンスは静かな、落ち着いた町でした。しかし、この日はフランスの革命記念日でほとんどの店が閉まっていて、旧市街の賑わいが分からなかったのはちょっと残念でした。 上の写真は旧市街のミラボー通りCours Mirabeauで、写真右側の水色のカフェはセザンヌが行きつけだったというカフェ・レ・ドゥー・ギャルソンです。
14日(月)の夕食には、昨日食べたレストランLe Pavillonのすぐ隣の、値段の安いレストランに入ってみました。
この日は、スープも前菜もたのまず、ブイヤベースだけを一人前ずつ注文しました。
一人前の具が入っていますので(上の写真)、昨日のブイヤベースの写真よりも見た目は豪華です。これもそれなりに美味しかったです。 こちらのレストランは昨日のLe Pavillonに比べると半分近い安さです。しかし、味はやはり昨日のレストランの方が良かったし、サービス、店の雰囲気なども含めると、昨日のレストランは高かったけれども、値段だけのことはあったな、というのが我々夫婦の感想でした。
7月14日は革命記念日で、エクス・アン・プロヴァンスもマルセイユもほとんどの店が閉まっていて、旅行者には全く不便な一日でした。しかし、一つだけ良いことがありました。
夕食を食べて、夜9時頃レストランを出て、旧港前のホテルに帰ってくると、港の周りにぞくぞくと人が集まって来ているのです。(下の写真。)
ホテルに戻って、レセプションにいた老人の男性に「今夜はfirework(花火)をやるのか?」と聞いたら、そうだ、と言います。ただ、この老人は英語を殆どしゃべれません。こちらはフランス語は全くしゃべれないので、ともかく英語で「何時からやるのか?」聞いたら、ただ「thirty minutes!」と言うだけです。30分後なのか、30分間なのか、よく分かりません。ともかくも自分の部屋に戻って、バルコニーから港の様子を見ていましたが、30分経っても何も始まりません。
港の周りに人は増えてくる一方ですが、夜中の12時近くなっても何も始まりません。 いよいよ、もう寝ようとすると、12時を回ったとたん、大きな音と共に一斉に花火が打ち上げられ始めました。港の出口近くにあるファロ公園方向と港水面の両方から、打ち上げ花火と仕掛け花火が延々と30分間続き、それは見事で、夜空を照らし、水面に映りました。夜中の0時から始まるというのは、まるで大晦日のカウントダウンのようでした。
我々は革命記念日に旧港で花火大会があるなどとは知らずに、港に面したホテルの最上階のバルコニー付きの部屋を予約していたのですが、これはラッキーでした。
8月23日(土)7:30pmから第2回蓼科高原ギター・サマースクールの講師であるギタリスト、稲垣稔氏と田口秀一氏によるクラシックギター・ジョイントコンサートがペンション「 ベルクハウスG-CLEF」で行われましたので、これを聴きに行きました。
第一部は稲垣氏の独奏、第二部は稲垣・田口両氏による二重奏です。昨年も第一回蓼科高原サマースクールがここで行われ、その時のコンサートで聴いた稲垣氏の演奏が素晴らしかったので、今年も稲垣氏のソロ演奏を楽しみにしていました。
今年の演奏曲目は下の通りですが、期待どおり今年も稲垣氏のギターは表情豊かな綺麗な音色を出し、音のボリュームもあり、表現力豊かで、素晴らしいい演奏でした。
(写真の右側が稲垣氏、左側が田口氏。携帯電話のカメラで撮ったので、画質が悪いです。)
<第一部>稲垣稔氏ソロ
S.L.ヴァイス作曲 パッサカリアニ長調
E.グラナドス作曲 スペイン舞曲第5番(アンダルーサ)
アルベニス作曲 カタロ二ア奇想曲、朱色の塔
他2曲
<第二部>稲垣稔氏&田口秀一氏デュオ
パウリーニョ・ノゲイラ作曲 Bachianinha Nr.1
F.ソル作曲 ロシアの思い出op.63(var.3,8を除く)
I.アルベニス作曲 タンゴ エスパニョル(プジョール編)、カスティーリャ(リョベート編)
アンコール3曲
8月22日(金)~24日(日)にペンション「ベルクハウスG-CLEF」 で第2回蓼科高原ギター・サマースクールが開催されました。 ベルクハウスG-CLEFは私の山荘から近いので、講演会や公開レッスンの一部を今年も聴講させてもらいました。
8月22日(金)夕方にギタリスト小原聖子女史の講演会がありましたので、聴講しました。
小原聖子さんは今は60歳代も後半と思われますが、私の年代で、クラシックギターの愛好者なら皆知っている人です。若い頃にはちょっとかわいい感じの、アイドル的なギタリストでした。小原さんは、日本のギター界の草分け的存在である小原安正氏の娘で、幼少の時から父よりギターの手ほどきを受けました。17歳の時に来日中の巨匠、ナルシソ・イエペスに認められ、イエペスと共にスペインに渡りました。イエペスの他にも、巨匠、アンドレス・セゴビアとサインス・デ・ラ・マーサにも学び、その頃の3人のギターの巨匠に直接学んだ唯一人の日本人ギタリストと言われています。
そこで、この日のお話のテーマは「3大巨匠から学んだこと、気付いたこと」でした。まず最初に、「皆さんの質問をお受けして、それに答えながら話を進めて行きたい」とのことでしたので、私は次の質問をしました。
Q.「アンドレス・セゴビアは独特の良い音を出しますが、どうしてあのようなとても良い音が出るのでしょうか? 普通の人と何か引き方に違いはあるのでしょうか?」
A.小原聖子さんの回答 「①セゴビアの演奏を近くでよく見ると、弦を抑える左手の指を離す瞬間にちょっと揺らしているように見える。 ②セゴビアは弦を弾く右手の指の力が強い。普通、指の力100%で弦を弾くよりも、50%程度の力で弾いた方が良い音が出る。(つまり、セゴビアは右手の指の力が強いので、50%程度の力でも普通に弾くことができるという事のようです。) ③セゴビアは美しいものを追求しようとする意識・気持ちが強烈である。例えば、セゴビアは美しい女性には非常に関心を示したが、美しくない女性は彼にとってはいないのと同じだった。」
①と②は簡単には真似はできませんが、③には納得します。人は自分がこうしたい、こうなりたいという強い気持ちがなければ、そういう方向には発展しないということは事実だと思います。
その他にも、小原聖子さんからは、巨匠達のギターの練習方法など、面白いエピソードをいろいろ聞くことができました。小原さんはいまだ天真爛漫なところが残っている感じで、楽しく、自分にとっては役に立つ講演会でした。
畑に植えた枝豆は丸く太ってきて、食べ頃になりました。今週になって、毎日少しずつ収穫しています。その日に採ったばかりの枝豆をゆでて食べると、お酒のつまみには最高です。
8月17日(日)は約4か月振りに坪川先生のギター個人レッスンを受けました。フランス旅行に行ったりなどしていて、今回は少し時間が空きました。
この日は前から弾いていた曲を2曲と新しい曲を1曲をみてもらいました。
坪川先生のレッスンを受けると、自分では気が付かなかったけれども言われてみればなるほどと思う点を幾つか、いつも指摘していただきす。また、自分で演奏上はっきりしない点は、先生に伺って説明を受けるとクリアーになり、納得します。
私の東京の家から池袋の坪川教室まではdoor to doorで1時間ちょっとかかりますが、このレッスンにはそれだけの時間をかけて行く価値はあると感じています。
7月12日(土)はアビニョンからフランス南西部の城塞都市カルカッソンヌに向かいました。
アビニョン・サントル駅9:03発の在来線terに乗り、Narbonne駅で11:14に乗り換えのために降りました。1時間近い待ち時間があって、再び在来線terに乗り、12:43にカルカッソンヌ駅に着きました。
我々は一等車のフランスレイルパスを持っていましたので、本来一等車に乗れるのですが、アヴィニョンからカルカッソンヌまでの列車terは一等車がなく二等車のみでしたので、二等車に乗りました。
地方を走る二等車の乗客は、当然ながら特急TGV一等車の乗客とはだいぶ客層が違います。TGVの一等車はビジネスマンのようなきちっとした感じの乗客が多いのですが、こちらは極めて庶民的です。Narbonne駅からはアラブ系と思われる大家族が乗り込んできて、満員の客室の席を取ろうとして言い合ったり、大きな声で喋ったりして、にぎやかでした。
フランスの国鉄の駅には乗る時も降りる時も、日本の鉄道にあるような改札口はありません。ですから、勝手に列車に乗ったり降りたりできます。ただ、駅のフォームには黄色い刻印機Composteur(上の写真)が立っていて、乗る前にこれに自分の乗車券を差し込んで、日時などを刻印しなけれななりません。電車の中で検札が回ってきて、刻印した正しい乗車券を持っていないと高額の罰金を取られるそうです。
一等客車に乗っていると、検察はまめに回ってきます。しかし、我々の経験の範囲では、二等客車ではたまにしか回ってきませんでした。この日、アビニョンからカルカッソンヌまで合計3時間近く二等車に乗りましたが、一度も検札が来ませんでした。これでは簡単に無賃乗車ができてしまいます。フランスの国鉄は鷹揚なものだと思いました。
カルカッソンヌ駅のすぐそばのホテル・アストリアAstoriaにチェックインした後、早速20分程歩いて、シテLa Citeと呼ばれる中世城郭都市を見に行きました。
シテは二重になった堅固な城壁に囲まれ、それはヨーロッパ最大と言われ、1997年に世界遺産に登録されています。さすがに、この城塞はスケールが大きく、立派です。ただ、城塞の中はあまりに観光地化され、東京ディズニーランドのシンデレラ城を大きくしたものの中にいるような気がしないでもありませんでした。
この日は天気予報通り、午後3時頃から雨が降り始め、一時は雷を伴って強く降り、夜中まで本降りとなりました。フランスを3週間旅行している間に本格的に雨に降られたのはこの日だけでした。やはり、フランスは7月は雨が少ないようです。
夕食を食べたカルカッソンヌ駅近くのレストランLa Rotonde
夕飯は、雨が降っていたため、ホテルに近いカルカッソンヌ駅前のOmer Sarraut大通りにあったレストラン兼ブラッスリーLa Rotondeに入りました。
前菜は私も家内も魚介類のスープを注文しました(上の写真)。これはカニなど、いろいろな味が煮込まれていて美味しかったです。
メインには私はこの地の名物料理、カスレCassouletを注文しました。白インゲン豆を白ワインなどで蒸し煮したものです。カルカッソンヌのカスレはこれに子羊肉が入っているのが特徴だそうです。元々私は豆料理は特に好物というわけではありませんので、特別美味しいとも思いませんでした。家内は美味しいと言っていました。
家内はメインに白身魚を食べました。まずまずの味だと言っていました。
7月9日(水)朝、ホテルに近いリヨン・ペラーシュ駅からMetro(路面電車)に乗ってリヨン・パール・デュー駅まで行き、リヨン・パール・デュー駅発9:25の在来線terに乗り、11:44にアヴィニョン・サントル駅に着きました。
駅の前には、アヴィニョンの旧市街を一周する城壁の入り口である、レピュブリック門が立派に立っていました。この門を抜けて、レピュブリック大通りを真っ直ぐ6、7分歩くと、旧市街の中心地である時計台広場に着き、その直ぐそばのホテル・ガルランドHotel de Garlandeにチェックインしました。
旧市街から見たレピュブリック門とアヴィニョン・サントル駅
お昼は時計台広場のカフェでサラダを食べました。フランスのサラダはいろいろな具が入っていてバラエティに富んでいます。私がこの日食べたサラダは写真のように、ハムやモツが沢山入っていて、これだけでメイン・ディッシュになります。
午後は旧市街を歩いて見物しました。法王庁広場、ロシェ・デ・ドン公園、サン・ベネゼ橋(通称、アヴィニョン橋)を見た後、美術が好きな家内に付き合ってアングラドン美術館とカルヴェ美術館を見ました。
翌日、7月10日(木)は午前中アヴィニョン・サントル駅から約20分電車に乗ってアルルに行きました。
アルルでは、世界遺産である円形闘技場、古代劇場、サン・トロフィーム教会、コンスタンチヌス共同浴場などを見ました。
お昼にはゴッホの有名な絵「夜のカフェテラス」のモデルになった、フォーロム広場の「Cafe Van Gogh」に行って、昼食を食べました。
「Cafe Van Gogh」ではこの店の目玉商品?のようにメニューのトップに書いてあった「Salade Van Gogh」を食べてみました(上の写真)。観光名所の食事なので、あまり期待していなかったのですが、予想外に美味しかったです。
そのあと、3時過ぎにアルル駅発の電車に35分間乗ってオランジュOrange駅に行きました。アルル発の電車は30分位遅れて来ました。フランスの国鉄は時刻表にわりと正確ですが、この日は夏休みシーズンで混雑していたせいか、めずらしく大きく遅れました。
オランジュ駅から10分ちょっと歩いて古代劇場に行きました。
2000年以上前に建造されたこの古代劇場は、世界で最も保存状態の良いローマ遺跡と言われるだけあって、高さ36m、長さ103mある劇場の壁は迫力があり、よくこんなものが綺麗な形で残っているものだ、と感心しました。
我々が泊まったホテル・ガルランドHotel de Garlandeは旧市街の中心地にある古い建物で、部屋数12の小さなホテルです。
朝食はこのホテルの朝食ルームで食べました。下の写真のように、パンとジュースとコーヒーのシンプルなものですが、パンも飲み物も美味しかったです。
ホテル・ガルランドHotel de Garlandeの朝食
部屋数が数十以上のホテルではビュッフェ形式の朝食になるところが多いですが、ここのように部屋数10程度の小さなホテルでは、自分の家庭で食べるような感じの朝食を出してくれます。フランスでは小さなホテルの朝食は概して美味しかったです。
アヴィニョン滞在三日目の7月11日(金)午後には、サン・レミSt-Remy+レ・ボーLes Baux+ポン・デュ・ガールPont du Gardを回るProvence Reservation社の観光バス半日ツアー をOffice de tourisme(観光案内所)から予約してありました。午後1時半に集合場所に行くと、「お客が少ないからミニバンに変更するので、同じ料金で良いからそちらに乗ってくれ」との話でした。観光バスツアーは料金が安い分、連れて行くだけで観光ガイドはありません。ミニバン・ツアーは運転手が英語で観光ガイドの説明を車内でしてくれますが、本来の料金は2倍です。だから、ちょっと得したことになります。
最初にサン・レミ・ド・プロヴァンスSt.Remy de Provenceに行き、旧市街を通って、その郊外にあるゴッホが収容されていた精神病院を見学しました。次にミニバンはレ・ボー・ド・プロヴァンスLes Baux de Provenceに向かいました。ここは、この半日ツアーに組み込まれていたので行っただけで、元々期待はしていませんでした。しかし、その山の上にあるレ・ボーの城塞は10世紀~15世紀に栄えたレ・ボー家の居城で、意外とスケールが大きく、ちょっと他にはない光景です(上の写真)。ここは行って良かったと思いました。
最後に、我々のこの半日ツアーの一番の目的であったポン・デュ・ガールPont du Gard に行きました。ポン・デュ・ガールは期待に違わず、迫力のある巨大な水道橋でした。2000年以上も前にローマ人はこんな大きな精巧な橋をよく作ったものだと思うし、それがそのまま残っていると言うのは驚きです。
3泊したアヴィニョンでは夕飯は毎日、ホテル近くのパン屋(上の写真)でサンドイッチと缶ビールを買って、ホテルの部屋で食べていました。というのは、それまで毎日のようにビストロやカフェで外食していましたので、ちょっと食べ疲れた感じになっていたのです。フランスのサンドイッチには、ハム、チーズ、ソーセージ、野菜、チキン、鴨、ツナ、など色々な物があり、又、パン自体も美味しいので、気に入っていました。三日続けて食べても飽きることはありませんでした。三日目の晩には、「crab(カニ)のサンドイッチはないか?」聞いたところ、このパン屋の人は「5分ほど待ってくれ」と言って、わざわざ作ってくれました。
今日はこの夏初めてのバーベキューを山荘のベランダでしました。今年の蓼科の山は毎日のように夕方になると雷や雨になって、庭でバーベキューという感じにはなりませんでした。しかし、昨日からようやく天候が安定しました。
自分の畑で採った、トウモロコシ、オクラ、ピーマン、ジャガイモ(レッドムーン)を焼いて食べました。今年の畑にはバーベキューで食べられるものとお酒のつまみになる野菜を中心に植えました。ようやくその成果を得ることができました。
枝豆は今日初めて収穫して、茹でて、ビールのつまみにしました。無農薬で作った採りたての枝豆はやや甘身があって美味しかったので、一応満足しました。
全部で6泊したパリを後にして、7月7日(月)パリ・リヨン駅発8:54のTGVに乗って、11:03リヨン・ペラーシュ駅に着きました。駅からは4、5分歩いて、Victor Hugo通りにあるホテル・ダジュールHotel d'Azur にチェックインしました。
Hotel d'Azuは創業100年を迎えたと言うだけあって、建物は石造りの歴史を感じさせるものでした。エレベーターは昔の白黒のフランス映画に出てきそうなもので、下の写真のように、2枚の鉄のジャバラを自分の手で開け閉めして、乗り降りしました。
リヨンは「美食の町」と言われています。町には、日本の居酒屋に近い、庶民的なビストロである「ブション」Bouchonがたくさんありました。
お昼は、ソーヌ川を挟んで旧市街の反対側にあるメルシェール通りRue Merciereの小さなブションに入りました。
この地の名物である「リヨン風サラダ」Salada Lyonaiseを食べました。リヨン風サラダは、レタスやルッコラ等の野菜にカリカリに焼いたベーコンが入り、ポーチド・エッグを乗せてあります。期待に違わず美味しかったです。
食後にダブル・エスプレッソを飲みました。フランスで飲むコーヒーはここに限らず、概して美味しかったです。
フルヴィエールの丘から見たリヨン市街、サン・ジャン大聖堂
それから、更に歩いて旧市街(Vieux Lyon)に行き、ケーブルカーに乗ろうとして駅を探しましたが、見つかりません。丘を登って行くと、結局、一駅分歩いてしまい、中間のMinimes駅が見つかりました。そこから乗って、一番上のSt-Just駅で降りました。
駅からノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂方面に歩いて行くと、途中、ローマ劇場がありました(下の写真)。これはフランスのローマ劇場としては最古のもので、紀元前43年建造だそうです。ここからはリヨン市街も見渡せました。
晩は、泊っているホテルに近いベルクール広場すぐ横のマロニエ通りRue des Marronniersに行きました。マロニエ通りにはブションがずらりと並んでいます。
夕食を食べたマロニエ通りのLe Bouchon Des Carnivores
適当にLe Bouchon des Carnivoresという店に入ってみました。
ここで私はリヨンの郷土料理であるクネルQuenelleを食べました。クネルは川カマスなどの白身魚のすり身をゆでてスフレ状に焼いたもので、バター、生クリームチーズなどを使った、こってりしたソースをかけています。
ブションCarnivoresのリヨン産ソーセージのボイル
家内は、これも地元の名物料理であるソーセージのボイルを注文しました。超太いソーセージを切ると、予想に反して中には豚の内臓がそのままの形で入っており、家内はこういうのはちょっと苦手でした。
翌日、7月8日(火)は中世の町、ペルージュPerougesを見に行くことにしました。
リヨンには、ソーヌ川とローヌ川に挟まれた商業地区「プレスキル」にあるリヨン・ペラーシュ駅とローヌ川の東側、再開発された新都市にあるリヨン・パール・デュー駅の二つがあります。
泊っていたホテルはペルーシュ駅のすぐそばですので、ペルーシュ駅からパール・デュー駅まで特急TGVに約10分間乗り、パール・デュー駅で在来線terに乗り換えて、約30分でメクシミュー・ペルージュMeximieux-Perouges駅に着きました。駅から約2キロを歩いて、小さな丘の上にある城壁の町、ペルージュに着きました。
ペルージュは14~15世紀に織物やブドウ酒造りで栄えた町です。ちょっとはずれた所にあるせいか、観光客もそれほど多くなく、落ち着いた、雰囲気のある、綺麗な町でした。
帰りは、リヨン・パール・デュー駅で鉄道terを降りて、その駅前からトラムに乗ってみました。トラムは2001年に開通した路面電車です。新しいだけあって、洒落たデザインでした。
リヨン二日目の晩も、前日と同じマロニエ通りに行き、別のブション、La Cuisine Des Mamansに入ってみました。(下の写真の右から2軒目がMamans。)
夕食を食べたマロニエ通りのブションLa Cuisine Des Mamans
前菜は私はリヨン風サラダを注文しましたが、これは通常の「リヨン風」と違って、レンズ豆、ソーセージ、豚の足・鼻が入っていました。ワインのつまみに、美味しく食べられました。
Cuisine Des Mamansのリヨン風サラダ(レンズ豆、ソーセージ、豚の足鼻)
私はメインには昨日と同様、クネルQuenelleを食べました。クネルと言っても、店によって作り方や味が少しずつ違うようです。昨日の店のクネルとはだいぶ見た目も違っています。私はこちらの方がどちらかと言えば味がいいと思いました。
La Cuisine Des mamansのメインのンクネル
家内は白身魚のムニエルを食べました。美味しかったと言っていました。
昨日の店も悪くはなかったですが、こちらの店の方が我々の口には合っていたようです。
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